2010年6月4日金曜日

「職場」の定義

職場は戦場である


モラルと現実が常に戦う

2010年6月1日火曜日

美しいもの

今日は美しい人に会った


人は美しいものを見ると

何もできない


ただできることは、そこに立ちすくみ涙を流すことだけである

2010年1月20日水曜日

「牧」師

「牧師」という言葉について、今まで深く考えたことがなかったが、

この前のバイブルスタディーでふと思いついた。

聖書にこのようなたとえ話(parable)がある。

"The man who enters by the gate is the shephered of his sheep.
The watchman opens the gate for him, and the sheep listen to his voice. (John 10: 2-3)"

"The sheep"は人を表しており、"The shepherd"は正しい道へと人を導くキリストを表している。

「牧師」という字に「牧場」の「牧」が入っているのはこの話からきているのだろうか。


漢和辞典でそれぞれの漢字の意味を調べてみた。

「牧」:家畜をかう。まきば。やしなう(動物をかってふやすことから転じて、人民をおさめて繁殖させる)。自分の人格、教養を豊かにする。

「師」:いくさ、おおぜいの人々。先生。


「牧師」での「牧」の意味は、「やしなう(人民をおさめて繁殖させる)」、「(自分の)人格、教養を豊かにする」という意味で用いられていると考えられる。

「師」はこの場合、明らかに「先生」という意味であろう。

つまり、「牧師」とは、「人をおさめて繁殖し、人格、教養を豊かにする先生」なのである。

大辞林によると、「キリスト教のプロテスタント教会の教職」を牧師というようだ。



おっと!

「新約聖書で、キリストが自分を羊を飼う牧者にたとえたことから」と書いてあった!



ちなみにカトリック教会、東方正教会では「神父」となり、呼び方が変わる。

英語ではそれぞれ、"a paster," "a priest"となる。

2010年1月10日日曜日

「雑経験」を大切に

アインシュタインは、大学卒業後
職がなくて、しばらく家庭教師などを
して食いつないだあと、
特許局の職員となった。

(中略)

 その経験が、後にとても役に
立ったとアインシュタインは回顧している。

 どんな経験も、自分の脳回路という
「土」に投げ込んでいけば、熟成して
いつか助けてくれるかもしれない。

 「雑学」ならぬ、「雑経験」
が大切なゆえんである。

(『クオリア日記』より)



だから、嫌なことでも我慢してやらなければならないのかもしれない。

「雑経験」がどこでどう役に立つかは誰にもわからない。

日常を「雑経験」とする者と、「ただ自分の前を過ぎてゆくもの」にしてしまう者と、

数年後、あるいは数十年後、

信頼、人脈と差がついてくるのだろう。

「雑経験」を大切に。